片桐一男氏の著作「紅毛沈船引き揚げの技術と心意気」で紹介された絵画資料と文書記録から沈船引揚げプロジェクトの内容を見ていきたい。
まず絵画資料は、長崎歴史文化博物館所蔵の「阿蘭陀沈没船引揚ゲノ図」と「沈没船引揚一件書類」である。
各々の絵を見てみよう。
・阿蘭陀船碇綱を以て船底を巻立候図
水面にかろうじて船首・船尾を出し半沈没状態のエライザ号と、その船底付近にオランダ商館より借りた太綱を
巻付け、それに多数の引揚綱を取付けた状況を図示している。
・沈船の艫に廻船を仕掛候図
エライザ号の船尾に、喜右衛門所有の廻船「西漁丸」を結び付け、引揚げる仕掛けを図解している。
・沈船揚方艫仕掛之図
エライザ号の船尾を引揚げるための十文字木・横木と、それを多数の引揚げ綱・滑車を介して西漁丸、
小型漁船の網船、海底より立てた柱に、各々結び付る仕掛けを図解している。
次に「沈没船引揚一件書類」は2枚の絵図からなっている。
・阿蘭陀沈船浮方惣仕掛ケ之図
エライザ号を引揚げる仕掛け全体を俯瞰した図であり、エライザ号を取り巻く様に配置された網船、
柱と八重ナンバ、船尾の西漁丸が描かれている。また、八重ナンバと取付け柱の拡大図も示されている。
・沈船浮出候上、木鉢浦入江より仮家前に挽立候図
浮上らせたエライザ号を、網船に帆を張り、また西漁丸に結んだ網船ととも、沈没場所の木鉢浦入口から入江の奥に
ある、蘭人仮建屋前の浜まで引いていく図である。
これらは、一連の引揚作業を図解する1セットの絵図であり、先の「防州喜右衛門工夫を以挽揚方仕掛大略 下」の元図と考えられる。
本図は、全てを並べると、縦54cm、長さが5mを超える大絵図であって、沈船引き揚げの仕掛け・手順の詳細な注解が記され、絵図を見ながら説明を読むことで、引揚作業の全体像を把握できるようになっている。
大規模な引き揚げを俯瞰する立体図、仕掛け・技術の要点のち密な記述等、現代の我々が見ても驚嘆するプロジェクトの解説図となっている。個々の絵図の細部と分析は追々紹介していく。
「紅毛沈船引き揚げの技術と心意気」に掲載の、「村井鍛煉抄」という喜右衛門の活躍を記した文書に、「浮き方の一件を詳しく畳3枚程の大絵図にして江戸に送り、さらに求めにより模型も作成して差出し、将軍と御三家が御覧になった」とある。上記の絵は、おそらく江戸幕府に提出した大絵図の写しを長崎方が作成・所蔵したものであろう。
江戸城の将軍御座の間にこの絵図が広げられ、模型もその脇に置かれて、将軍徳川家斉や御三家の三卿が見守る中、老中松平伊豆守が沈船引き揚げの説明をする様子が目に浮かぶようである。
また、2通の報告書「長崎於木鉢ケ浦紅毛船沈船浮方一件」「肥前長崎於木鉢ケ浦紅毛沈船浮方一條花岡御勘場ヨリお尋ニ付申上控」(以後「沈船浮方一件」呼ぶ)には、日を追っての作業内容、人数、作業船数、浮方に用いた材料・道具の一覧が記載されており、まさしくプロジェクト報告と呼ぶにふさわしい内容となっている。
これを基に、引揚プロジェクトの全体の日程を描くと、以下のようになる。
日数32日、のべ人数8050人、のべ船数1630艘である。
また、使用した材料・道具の一覧を以下に示す。
総重量で約700トンに及ぶ物量となる。
これだけの材料をそろえるのに、かなりの日数を要するはずで、喜右衛門は浮方開始前より、奉行所の許可が出次第、直ちに作業に取り掛かれるよう準備をしていたと思われる。
浮方に掛かる費用として、喜右衛門は5-600両としており、1両=10万円の換算で5-6000万円となる。
こうした費用負担を民間の一個人で担い、材料の手配、人員の動員等を周到に行って、引揚プロジェクトを成功させた喜右衛門の手腕・胆力に改めて感嘆せずにはいられない。