喜右衛門のエライザ号引揚の独創的な工夫として、船底の太綱回しをあげたが、その作業内容と引揚能力を検討してみよう。
沈船引き揚げの為、船底の左右に綱を渡して浮舟に繋ごうとしても、泥に深く埋まった船底の下に綱を渡すことはできないため、喜右衛門はオランダ屋敷から借りた太綱でエライザ号を胴締めし、その太綱を介して船を引揚げるという手段をとった。
太綱は、直径21cm、長さ218m、重量が4800kgという巨大なもので、オランダ帆船の錨引揚げ用として使われるものを、商館が予備用としてストックしていたものであろう。
喜右衛門はこの太綱を3本借り受け、そのうちの2本を左右両舷より巻き付けている。
エライザ号の上甲板付近の周長は約95mで、長さ218mの太綱をちょうど2周できる長さである。
船2艘に太綱を1本づつ積んで、エライザ号まで運び、太綱の先端をエライザ号の左舷、右舷に引揚げて固定し、そこから2艘の船を逆方向に各々2周回させ太綱を巻付かせて、後端を再びエライザ号に引揚げた。
次に、この巻付けた太縄を舷側に立てた竹に沿って船の下部へ押下げながら、引き絞っていき、最終的には泥に埋もれた船底回りをしっかりと締付けるわけである。
こう書くと簡単だが、実際には水中7mの深さまで、巻かれた太綱を均等に押下げる必要があり、船舷に着けた筏上に配置された数十人が、押下げ用の棹を用いて、合図に合わせて一斉に同じ寸法ずつ押下げねばならない。
船の形状は喫水線の下部ではすぼまっており、押下げる毎に巻いた太綱は緩んでいくため、綱の先後端を結んだ滑車により巻き締めていく必要がある。巻締が強すぎると押下げの抵抗となり、太綱が下がらなくなるため、緩みを締めつつ強すぎないよう加減が必要となる。
水中で見えない綱を多人数で押下げ、かつ巻き締めの加減を調整・確認しながら行うのは非常に難しい作業であったに違いない。
報告書「沈船浮方一件」によると、この太綱回しに4日間を費やしている。
こうした困難な作業を、大人数で息を合わせて実施するには、日頃から地引網などの作業で息の合った集団が必要であり、それを統率できた喜右衛門だからこそ、発想できかつ実施できたものであろう。
では、次にこうして締付けた太縄でエライザ号を引揚げることができるのかを検討したい。
沈船の海底付近で締付けられた太綱と引揚綱、及び太綱に掛かる力を図示したのもが下図である。
沈船を引揚げるとき、太綱には、船体よりFcの力と、引揚げ綱よりFlの力がかかる。
ここで、船体からかかる垂直方向の力成分Fczと、引揚綱の垂直方向力成分Flzが等しいとき沈船は浮上るわけだが、同時に太綱には水平力FcxとFlxがかかる。
この水平力は太綱に掛かる張力に等しく、沈船を引揚げるためには太綱がこの張力に耐えることが必要である。
船体と太綱の接触角をΘ、引揚げ綱の角度をαとすると
太綱に掛かる水平力=張力は
Fcx+Flx=FczxtanΘ+Flzxtanα
となる。
太綱が負担する引揚力の最大値は410トン(7章で算出する)で片舷205トン、接触角Θ=45°、引揚げ角度α=15°で、太綱1本あたりの張力は87トンとなる。
麻ロープの最低引張強度を5.0kg/mm2として、径210mmの太綱は173トンの引張力に耐えることができる。
すなわち
太綱に掛かる最大張力87トン < 太綱の引張強度173トン
となり、安全率はほぼ2.0となる。
こうして、径210mmの太綱を3重に巻付けることにより、最大410トンの引揚力を支持できることとなる。